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完璧ですね これはいただけません
atm09td
安心っていうのは車の後部座席で眠ることさ。
前の席には両親がいて、心配事は何もない。
でもね、ある時、その安心は消え去ってしまうんだ。
君が前の席にいかなけりゃならなくなるんだよ。
そしてもういない両親の代わりに
君が誰かを安心させる側になるんだ
 
スヌーピー
asagaonosakukisetu

1863 フリーメイソンズ・タバーン

 10月26日、グレート・クイーン街の居酒屋フリーメイソンズ・タバーンに次々と馬車が到着していた。南部の学校とクラブの代表者たちの会合である。ほぼ全員がパブリック・スクール出身の「ジェントルマン」だった。

 ハンチングを被った髭面の男たちは、階上の部屋でビールを飲みながら議題について話し合った。The FAを結成し、年会費を1ギニーにすることはすぐに決まった。しかしそこからが難航した。ハロー校出身者で構成されたフォレスト・クラブの代表、ジェームズ・フレデリック・オルコックが「ハッキング禁止をルールに盛り込むべきだ」と主張したからだ。ブラック・ヒースクラブのフランシス・キャンベルはこれに猛然と異議を唱えている。キャンベルの主張は「男らしさがなくなる」であった。投票の結果、13対4でオルコックの提案が可決され、ブラック・ヒースクラブはこれを不服として脱会、8年後にラグビー協会を設立するに至る――。

 フットボールをラグビーと分裂させた「ハッキング」とは、相手のくるぶしから膝の間を蹴って撃退する行為のこと。ボールを手で扱うハンドリングより、ハッキングの方がはるかに重大事だったわけだ。

 社会の指導階級であるジェントルマンたちによるフットボールとは、恐ろしく荒っぽい野蛮なスポーツだった。

出典: footballista.jp
asagaonosakukisetu

ホンネがタテマエを越えたターニングポイントだった。判定が信用に足らないことは、フットボールが開始された時から実は誰もが知っていた。しかし、タテマエは尊重されてきた。タテマエを綺麗な言葉で言うなら理想である。人間は間違える、間違えは許容される、それがフットボールの理念であり美しいタテマエだった。

 だが、21世紀になって判定は間違ってはいけないことになった。もちろん、ロンドンの居酒屋でジェントルマンたちがルールについて議論した時、機械が判定の助けになると想像していた者はいなかっただろう。機械判定はただ想定外だったに過ぎない。しかし、その時彼らが理想を掲げたのは確かだ。タテマエに過ぎないとわかっていても、ホンネを剥き出しにするほど品格に欠けてはいなかった。

 なぜ、ホンネはタテマエを越えていったのか。理不尽に堪え忍んできた人々が一斉蜂起したからではない。レフェリーの自宅を襲撃したところで、タテマエは強靱でルールも変わらなかった。なぜ、急に判定は正しくなければならなくなったのか。答えは察しの通り、フットボールが巨大なビジネスに変貌していたからだ。この理不尽極まりないスポーツに対して、ばかばかしいほどの大金が投じられるようになっていた。フェアネスをモツトーとするビジネスマンは判定ミスなど許容できるものではなく、彼らのルールでは一刻も早く機械を導入すべきなのだ。間違った判定1つで投入した資金が水の泡になるのは耐えられない。フットボールにそんな大金を突っ込んでいる方がどうかしているのだが、彼らは理不尽さに耐えてきた人々の忍耐と諦観を持たなかった。

 ホンネが初めて勝利した。資本主義を味方にしたホンネがタテマエを打ち倒したのだ。

出典: footballista.jp
nemoi

映画監督の押井守さんは、著書『凡人として生きるということ』に、こんなふうに書かれています。

 僕には友達と呼べる人はいないし、それを苦にしたことはない。年賀状にしても、こちらから出すのは毎年ふたりだけ。師匠ともうひとり。さすがに出さないと失礼と思われる大先輩のふたりを除いて、年賀のあいさつを出す相手もいない。

 だから、正月にうちに配られる年賀状はどんどん減ってきた。それでもいいと僕は思っている。他人とのコミュニケーションは、こんな僕でも大事だ。いや、多くの人の才能に支えられて映画を作る僕のような人間には、コミュニケーションほど大切なものはない、と言ってもいいだろう。

 だが、それはあくまでも映画を作るという目的があってのことだ。もしも僕がたったひとりでも映画を作ることができるなら、ひとり家にこもって誰とも交わらず、黙々と作業をするだろう。

 だが、実際にはそんなことはできるはずもない。だから、僕は他人を必要とする。他人を必要とするから、他人と一晩でも二晩でも、相手に自分の考えを納得してもらえるまで、とことん話す。

 その過程で、その人とどんなふうに付き合えばうまくやっていけるかを真剣に考える。仕事仲間になるのだから、映画を作る数年の間は、その人とうまくやっていきたいと自然に思うから、そうするだけのことだ。

 逆に、話す必要もない相手とは話さない。僕は別にお友達がほしいわけじゃないからだ。友人なんてそんなもの、と思ってみれば、友人関係であれやこれやと悩むこともバカらしくなってくるはずだ。

 だから、若者は早く外の世界へ出て、仕事でも見つけ、必要に応じた仲間を作ればいいと、僕は思っている。ただ、そばにいてダラダラと一緒に過ごすだけではない仲間がきっと見つかるはずだ。

 損得勘定で動く自分を責めてはいけない。しょせん人間は、損得だけでしか動けないものだ。無償の友情とか、そんな幻想に振り回されてはいけない。

 そうすれば、この世界はもう少し生きやすくなる。

出典: d.hatena.ne.jp